TOPICS

五、 森留吉と村石ソメ運命の出会い

明治36年(1903年)京都帝国大学福岡医科大学が筑紫郡千代村堅粕(箱崎)に開校、(明治43年、九州帝国大学医科大学と改称)。
併設看護婦養成所で祖母 村石ソメ は看護学、衛生学等を習得。
前述した久留米衛戍病院(陸軍病院)に奉職。剛毅豪胆青年 森留吉、国分村の第48連隊や軍事施設に出入りするうち、一等明瞭な乙女 村石ソメ を見初め結ばれる。
明治45年/大正元年(1912年)、長子 森一男(かずお) 生まれる。
大正3年8月 日英同盟により第一次世界大戦に参戦、ドイツ租借地 膠州湾にある青島(チンタオ)半島を攻略、日本軍は久留米の陸軍第18師団を中心に参戦するが、祖父 留吉は視覚聴覚即ち五感が優れていたため帝國海軍、佐世保鎮守府より戦艦敷島にて出兵、凛々しき水兵服姿の写真が現存しています。

肉の美好

同 大正3年11月7日青島要塞が陥落し帰国する。留吉は三男ゆえいずれ分家せざるを得ず、前述したようにソメの故郷大川町榎津界隈の賑わい、交通網の拠点、三潴郡の行政、文京、商業の中心、高良大社の末社風浪宮が祭ってあること、若津弥生町に遊郭があり、芸者置き場があることと、村石家家族の扶養等など考慮し榎津東町三潴軌道分岐点(駅)に居を構える。

肉の美好
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス(ブログには公開されません):

ホームページURL:

コメント:

認証(表示されている文字列を入力してください):
8stx